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2025年4月20日 (日)

擂粉木終

本ブログ「擂り粉木日記」は、今回の投稿をもって終了する。

2006年5月27日から始め18年10ヶ月と25日。「継続こそ力なり」という言葉を愚直に信じて、時折訪れる怠惰な気持ちと闘い書き続けてきた。

ラーメン食べ歩きや旅行を趣味にする前からこのブログをスタートさせた。ブログのタイトルを考えた当時の自分は「今の自分の日々を文字で表すとどうなるだろう?」と俯瞰する気持ちで考えてみた。すると見えてきたのが「自分を擦り減らしながら日々を生きている自身の姿」だった。だから自虐を込めてタイトルを「擂り粉木日記」と名付け立ち上げた。今になって思えばあまりにも自虐が過ぎるタイトルになってしまった。

最初は文章を書く行為に慣れておらず戸惑って苦戦していたが、いつしか日常習慣化してあまり苦も無く書けるようになっていった。けれどある日ふと我に返ったように自身に問いかけるようになった。

いつまで擦り減らし続けるつもりだよ?と。

自らに問いかけ続けていく度に、最初はぼんやりと見えていた自身の姿が徐々に解像度を上げて見えるようになった気がした。その姿を見てこう思った。

もういい加減、自分を擦り減らすのを止めよう。

過度に自分を擦り減らす事なんて全くない。自分を擦り減らし我慢を積み重ねるために産まれ生きている訳ではない。誰のための人生だ?これからの自分の時間は他人や社会の為ではなく自分の為に使おう。そう決心した。ハッと気が付き後悔した時ではもう手遅れで、時間は取り戻せないのだから。

「言葉なんていつも後付け」

このブログのサブタイトルにした言葉。しかし18年以上前自分で名付けたブログタイトルに多少なりとも影響を受けてこのブログを閉じる事になるのだから、この言葉を逆に証明して回収した事になる。言葉の全てが辻褄合わせになる訳ではなかった。綺麗に収まった気がする。

また自分を擦り減らし続けていたと思っていた日々の時間も、実はこの世界で生きていく為には必要不可欠な学びの時間であって、培った経験は今ではしっかり自身の血肉になっている事も理解出来ている。

余裕がない中で得た束の間の自分の時間を書き綴ったこの「擂り粉木日記」は大切な人生の記録。

でも思い出にする時がきたのだ。

ありがとう!愛すべき様々な日々の記憶たち。楽しかった日も苦しかった日も悲しかった日も。これらの日々の積み重ねがあったればこそ、その高みに立って新たな人生の一歩を踏み出せるのだから。

2025年4月 5日 (土)

父母朝桜

250405sky01 今日は朝から天気が良いという予報だったので前日から準備して毎年恒例にしている根岸森林公園への早朝花見に出かけた。予報通り良い天気。少し冷たいが朝の新鮮な空気が心地よい。

250405shinrinpark01250405shinrinpark04 朝焼けに浮かび上がる桜林。この幻想的な光景が見たくて毎年この時間にこの場所へやって来ている。

250405shinrinpark03 今年も見事な風景を見せてくれて感謝したい気持ちになった。 数日続いた冷たい風雨に耐え良く散らずにいてくれた。

250405shinrinpark05根岸森林公園の桜林は他の場所より満開の時期が遅い。今日もまだ蕾の状態であるのも多く見られたし、場所によっては緑の葉もちらほら見られる木もあったり。同じ環境にあっても木によって状態が異なる。これは人も全く一緒だなーとつくづく思うよ。我にとっては両親を亡くした後の初めての花見だったから。

250405shinrinpark06 今日は偶然にも父が亡くなった日からちょうど1ヶ月経った日にあたる。前日の夜から朝が明けるまで父の手を握り最後を看取ったあの時の事はまだ生々しく思い出され未だに深い悲しみに襲われる。けれど火葬後に骨を骨壺に入れて家に戻って来て、その後役所の手続き等し忌引き休暇を終え会社勤めの日常に戻った時の事は遠い昔の出来事のように感じる。父と母の命日はたった2日だけずれているが同じ冬から春へ季節が切り替わる時期。だから約9年前に母を亡くした後もこの時期ここに来て桜を見て様々な感情が湧き上がってきた事を思い出した。我はこれから毎年この時期この場所に来て桜を見ては亡き父と母へ思いを寄せる事になるのだろう。

250405shinrinpark07

googleフォトで10年前の2015年4月の写真が不意に上がってきた。父と母と牛鍋を食べに行った時の写真だ。父と母が笑顔で並んで写真に収まっていた。「こんな事もあったよねー」と写真を見せて話そうにも、もう2人共いなくなってしまった。物凄く淋しい気持ちに陥ってしまった。

2025年3月 5日 (水)

父親永眠

3月5日午前7時59分、父が息をひき取った。90歳だった。これを書いているのはそれから4日後。書くか迷ったけど記憶が風化してしまう前にある程度今感じていることを書き残しておきたい。

昨年夏くらいから父の体力が急速に衰えていくのがわかった。なので少しずつ備えと覚悟は進めていたつもりだったのだが…。

昨年12月26日、父は苦しみ自分でベッドから出れないほどの状態になってしまった。救急車を呼ぶか悩んだが、それだと見知らぬ病院に運び込まれてしまう可能性がある為、父の状態がある程度安定してきたのを見計らい、翌朝27日に近くのかかりつけの病院に父を運び込んだ。そうしたら即緊急入院でHCUに入れられた。年明け1月2日担当医から「もう退院は出来ないと思います」と告げられた。我は会社を休み可能な限り父のそばにいることにした。ところが1月9日からインフルエンザ感染防止の名目で面会全面禁止とされてしまった。それから携帯電話だけが我ら親子を繋ぐ命綱のようになった。面会禁止ではどうする事も出来ず悩んだが、家に閉じ籠もっていてもしょうがないので翌週から会社への出勤を再開した。危険な状態になれば病院も連絡があるだろうし流石に面会を解除してくれるだろうと信じて。

翌週担当医から良い意味で信じられない連絡があった。父の体調が回復傾向にありリハビリを続け帰宅を目指しましょうと言われ父は一般病棟に移された。入院時の父の状態を良く知っているだけに到底信じらられなかったが医者が言っているのだから信じるしかない。そして家族としては良い報告の方を信じようとしてしまうものだ。1月30日に面会全面禁止は解かれたが厳しい制限は継続され、何と平日午後の短時間だけ、土日は全面禁止継続だった。なので我ら親子の面会は週1回、相変わらず電話での定期連絡が主な確認手段となった。これが後々までとても辛かった。

2月初めの頃は父が回復するものだと信じていた。実際ナースステーションに着替え等を渡した際、補助台車みたいなもので歩行訓練をしている父の姿をみて嬉しくなったものだ。しかし数日後に症状が悪化してしまい、また頑張って持ち直してきたらまた悪化するという事が亡くなる直前まで続いた。期待させられた分、父から伝えられる悪い知らせがある度に張り裂けそうな気持ちと無力感に苛まれた。父自身も「もういい加減にして欲しいよ」と心の叫びを言っていた。それでも父は「運を天に任せるしかない」と言い「俺はもう90歳で悔いはないんだから、お前そんなに感情的になるなよ、少しはリラックスしろよ」と言ってくれた。自宅で寛いでいる我の写真を送るようにも言われた。自分は正に命の間際だというのに、父は最後まで我のことを心配してくれた。

その後も父の声から体調は下降気味なのがわかった。そして父が息を引きとる4日前、父はもうゴボゴボという声にならない声での電話があった。たまらず病院に電話をかけて父の様子を見てもらうよう懇願した。そして担当医から「やはり退院は難しいと思います」と2ヶ月前と同じ事を再び言われた。居ても立っても居られないので面会禁止の日曜だったが病院に行って短時間でもと父へ会いに行った。その時父はもう会話が困難な状態だったが意識はしっかりしていて無理に会いに来た我の事を叱るくらいだった。

翌日も病院に行って担当医から直接状況説明を受け特別に面会制限を解いてもらえるようお願いをした。でもそれは結果的に父が亡くなる前日だった。そしてかなり聞き取るのが困難だったが息絶え絶えの父と最後の会話をすることも出来た。夕方になり我は一旦家に帰っていたのだが夜9時半に病院から電話があり危険な状態だと知らされ雪が降る中タクシーを捕まえ病院へ駆け込んだ。父の意識は既に朦朧としていながら目で若干の反応を示してくれたが、日付が変わった頃にはもう反応もしてくれなくなってしまった。翌朝父が息を引き取る瞬間まで手を握ってそばにいる事が出来た。母が死別する時それが十分に出来なくてとても後悔していたのでそれを繰り返す事がなくて良かったと思ったよ。昨年末の入院から69日間、父はたった1人病室の天井を見つめ繰り返される苦痛の日々からようやく開放された。息を引きとる20時間前に我との最後の会話の中で父は言った、「もう開放してくれ」と。だから父の心拍が停止した事を知らせる警報音を聞いた時、父を失った悲しみの感情より「父はよく頑張ってくれた」という労いと尊敬の気持ちが勝っていた。父、本当に頑張った。凄い!

家の事など何でも自分でやろうとして実際やってしまう、器用でしっかりした尊敬出来る父親だった。社交的で人と会話するのが好きで酒も適度に楽しんでいた。その辺りが我とは正反対なので根本的なところで理解し合うのは難しいと思っていた。でも実は現役時代、会社ではかなり辛い目にあって苦しみ我慢をしていた時期があった事をこの入院中の会話で初めて話してくれた。我と母の事を思い懸命に堪えてくれていたのだと思うと胸が締め付けられる思いだ。別れる前に親と子の理解と感謝を深める事が出来たと思う。それは天に感謝したい。

父の心拍停止から約20分以上放置され、ようやくやって来たのは担当医ではなく別の科の医者が父の死亡確認をした。これは酷いと思った。その後予め連絡を取っていた葬儀会社に霊柩車を手配し死後2時間後くらいに父はようやく病院から出る事が出来た。

あれから4日経過したが、不思議と父を亡くした悲しみの感情がほとんど浮き上がってこない。これじゃいけない!とは思うのだが、父や病院から電話がかかってくる事はもう無いんだ…という安堵の気持ちが、今はとても大きい。正に緊張の糸が切れた状態。この70日間に及ぶ予断を許さない緊張の日々は、父自身が感じていたであろう恐怖とは比べ物にならないけれど、自分の精神を限界近くまで追い詰めていたんだなと、今更ながら気がついた。

P.S. この記事を書くか迷ったけれど、実際書き終わってみると、自分の事が客観視出来て頭が整理されたというか、少し気持ちが落ち着いてきた気がする。これは日常的にブログを書いてきた者だけに与えられる効果なのだと思う。自ら続けてきたこのブログに感謝だ。

2024年7月13日 (土)

夏訪悪夢

240713sky01 7月半ば三連休初日の土曜休日。三連休中は雨降りと聞いていたので遠出とかは考えず外出は近場で済ませ基本家で過ごそうと思っていたのだが、朝起きたら意外と天気が良い。天気予報で確認したら下り坂になるのは夕方以降となっていたので早速予定を変更。せっかくの貴重な休日をより満喫しようと早めに家を出て都内へ行ってみる事にした。

240713karasuyama01 電車を乗り継いでやって来たのは世田谷の千歳烏山駅。この辺りは我には縁遠い土地なのだが細い路地がたくさんあって歩いていると気分が良いんだよ。雨上がりだったので緑が輝いて見えて一層気分が良く感じた。

240713setagaya01 烏山神社のそばを通過し到着したのは世田谷文学館という所。ここで開催されている「伊藤潤二展 誘惑」を観覧する為に来た。恐怖漫画家と言って良いのかわからないが我としては珍しくこの手の漫画家に興味を惹かれた存在。ここまでリアルに悪夢を漫画化出来る才能が凄いと思う。何故そうなのか特に種明かしがされないまま結末を迎えるのも夢と一緒だ。それと本当に夢で見てしまいそうなグロテスクな絵の表現方法も素晴らしい。展示された原画やイラストは基本的に撮影可能だったので幾つか写真に収めたが、本ブログでグロテスクなイラストをバンバン載せるのは違う気がするのでそれは控える事にする。結果的に訪れて良かったよ。貴重な休日時間を有効に使えた気がする。一応図録だけは購入し退館した。

240713setagaya03 240713setagaya02 この世田谷文学館は緑の多い閑静な住宅街の片隅にあって雰囲気が良く気に入った。錦鯉がたくさんいる池も涼しげで良い気分になった。240713setagaya04

 

2024年6月 8日 (土)

庵野人生

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梅雨入りは来週以降になりそうで週末2日はまだ爽やかな外出日和になりそうとの予報だったので、これ幸いと以前から計画していた名古屋へ行ってみる事にした。朝6時半前には家を出て朝9時には名古屋へ到着していた。

遡る事約5ヶ月前に一泊二日の長野旅行へ出かけた。その2日目に善光寺へ訪れたのだが、そのすぐ近くにある長野県立美術館で「庵野秀明展」が開催されていた。事前知識も無く本当に知らなかったのだが「面白そうだな」と当日入場券を購入し観覧した。我からすればとても懐かしいモノで溢れていて面白く満足度の高い体験が出来、何だか得した気分になった。ただ突発的に訪れたので気分的にゆっくり観覧する事が出来ず、何より図録を購入出来なかったのが大きな心残りとなってしまった。旅の途中という事もあり、手に取った時あまりの大きさと重量に気が引けて「帰宅後通販で購入すればいいや」と思って買わなかったんだよ。そうしたらこういう展示会の図録は基本会場のみで購入可能なものと初めて知り更に後悔が深まった。でもその後巡回展示が名古屋に移り今年の4月13日から開催されると聞いて嬉しくなった。名古屋なら長野へ行くより断然楽だし、会場も今年3月に訪れた「北斗の拳大原画展」と同じと知ったので早速4月上旬の時点で前売り券は購入済。奇しくもTV版エヴァンゲリオン等を制作していた㈱ガイナックスが破産報告した翌日、満を持して訪問することにした。

会場には開場20分も前に到着してしまったが入口前に既に5人並んでいたのでその後に続いて待つことにした。定刻に開場する頃には30人以上の並びが生じていた。

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庵野秀明展 愛知展

観覧2回目という事もあり個々の創作作品の展示物はほぼ把握出来ていたので、今回は庵野秀明という個人の軌跡全体に自然と焦点が合い、展示内容全体を俯瞰して観る事が出来た。

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この人の何が凄いって「子供の頃から夢中になったもの、好きなものへの情熱を貫き通した」事にあるんだと思う。

240608annoten03240608annoten04 240608annoten05 彼が過ごしてきた少年時代は今みたいに特撮や漫画、アニメの事を「世界で評価されるジャパニーズカルチャー」みたいに明るく肯定された視点で言われる遥か以前の頃だ。「オタク」だ「根暗人間」だと世間から意味もなく蔑まれ犯罪予備軍みたいな視点で見られていた事は容易に想像がつく。でも彼はこの笑顔だよ!好きな事をやっていたからだ。

240608annoten07240608annoten08 山口県宇部という田舎で生まれ育ち、インターネットなど姿形も無い頃なので情報入手もままらなかったはずだ。「それでも」というか「だからこそ」なのか、心無い事を言われたとしても彼は夢中で描いて、作って、創作し続けた。そしてそれをそのまま現在に至るまでほぼ変わらずやり続け貫き通した事が偉大だなと感銘を受けたよ。

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好きな事をひたすらやり続けるというのはそう簡単な事ではない、とここまで生きてくれば理解出来る。周囲からの視線・言動で大抵の人は心が揺らいで不安になって離脱してしまいがちだから。

240608annoten11240608annoten09 時代は変わってもあいも変わらず「コミュ障」やら「チー牛」やら「キモい」やら、他人を蔑む言葉を生み出し撒き散らす輩。しかしそれ以上にそういう他人の考えた言葉を、尻馬にのって平気で使い赤の他人にマウントを取っていると勘違いしているような輩がどうしようもない。その言葉を使っている時点で操られているのが自覚出来ていない。他人に絡む事しか存在意義を見いだせない哀れな人間も残念ながら少なからず存在しているのが厄介。

240608annoten14 240608annoten13 我が心の師である水木しげる御大からいただいた言葉「好きなことをやりなさい」を思い出したよ。そしてそれは性別年齢に無関係だ。今からでも好きな所に行って好きな事をすればいいのだ。

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深い感銘を受け観覧を終える事が出来た。今回の大きな目的だった図録はもちろん、ちょっとしたグッズも無事購入出来、大満足で退館した。帰宅後読むのが楽しみだ。

2024年4月13日 (土)

根岸朝桜

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天候不順が続いた為先週の訪問は諦めた毎年恒例の根岸森林公園の早朝花見。今日は朝から快晴だと天気予報が出されていたので前日から訪れるのを楽しみにしていた。だけど今週になって気温が上昇し天候も回復していたので通勤経路にある桜がことごとく葉桜化しているのを見ていたので心配だった。日照時間の関係で根岸森林公園の桜の開花は毎年遅いのは経験上わかっていたから、そこに一縷の望みを持って朝5時半頃家を出た。

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天気予報通り快晴の空となり清々しさを感じる根岸森林公園。1年ぶりに訪れたが人はまばらだった。我にとっては好都合だ。

240413shinrinpark002240413shinrinpark03 良かった。桜満開に間に合ったようだ。桜が朝陽を浴びて殊の外美しく見える。

240413shinrinpark004240413shinrinpark005 天候が安定しないこの時期の週末の朝に、この爽やかな気温と青空の元でこの景色が見れた幸運に感謝したい。

240413shinrinpark006240413shinrinpark007 240413shinrinpark008 まるで桜の津波が迫ってくるようにも見える。今年も根岸森林公園の満開の桜が見れて良かった。今年の桜に関してはこれでもう悔いはないよ。大満足だ。

2024年4月12日 (金)

銘店巡終

新横浜ラーメン博物館創業30周年記念企画として2022年7月1日からスタートした『あの銘店をもう一度』シリーズ。それは過去ラー博へ出店した国内外の銘店達を再集結させる「2年で味わい尽くすラー博の30年史」という謳い文句で幕を開けた。以前からラー博の過去出店リストを見て「この店行ってみたかったなー」と思う事が多々あったので発表された時は期待に胸が高まった。折しも2022年はコロナ禍がなかなか収束を見せなかった時期。移動制限があった為、我の趣味でもあった地麺巡りも封じられていた。フラストレーションが溜まっていた事もあり、この企画に全乗っかりして徹底的に楽しんでやろうと決めた。

ところがラー博側から今回『六角家1994+』の出店をもって「あの銘店をもう一度」は終了すると公式にアナウンスされた。先に書いた通り我はこの企画に前のめり的に楽しんでいたので、この発表はあまりに唐突で受け入れ難かった。ハッキリ言って不完全燃焼で収束してしまう事に不満を感じた。というのは過去の出店リストの中で再出店していない店が多数残っていたからだ。残っているのは『旭川らぅめん青葉』@旭川、『いのたに』@徳島、『らーめんの駅』@札幌、『二代目げんこつ屋』@東京、『匠』、『らー博厨房』、『麺翁百福亭』『NARUMI-IPPUDO』の8店舗。但し今回の企画の注意書きに「本企画は歴代出店店舗から一部企画店を除いた約40店舗が出店予定です」と書かれていた。なので後半4店舗は企画店として除外されても仕方がないが、前半4店舗が出店しなかったのは残念過ぎた。

しばらくは受け入れ難い結末だとショックを受けていたけど、落ち着きを取り戻した今となっては無理も無い事だとラー博側に心から感謝したい気持ちになっている。歴代出店数は現在全50店舗にものぼるが、出店していた当時とは事情が異なるし各々の都合を抱えているはず。冷静に考えてみれば多数の独立体が参加するイベントが全くの計画通りに事が進む方が奇跡に近いと容易に想像出来る。出店する順番のロードマップを明かさず出店直前の公表方式をとっていたのはそういう理由だろう。ラー博側も『青葉』や『いのたに』にも最後の最後まで粘り強く交渉していたんだと思うよ。再出店してもらえなかったのは我々以上にラー博側が悔しかったに違いないのだ。

先に書いた通り世界を襲ったあのパンデミック禍は、地下飲食店を主としているラー博にとっては最大の危機だったと思う。度重なる休館、空調やアルコール洗浄等の嵩む設備投資費、当てにしていたインバウント客の激減等、傍から見ても最悪閉館してしまうじゃないかと思っていた。それらを覆し取り戻す意気込みで望んだであろう今回の大イベント。よくもこれだけの有名店のリレーを繋げさせたなと思う。そして我も全店制覇出来て十分以上に楽しませてもらった。今となっては感無量、大感謝だ。風前の灯状態だった銘店『六角家』をレギュラー店として復活保管させるというのも美しい結末だったと思う。

『博多一風堂1994』の企画出店は続いているし、6月には新たな51店舗目の出店も控えているという。今年も新横浜ラーメン博物館へ通う日々が続きそうだ。

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2024年3月 9日 (土)

百鬼夜展

240309sky001 快晴に恵まれた土曜休日。空気はまだまだ冷たい。

このところ週末になる度展示会に訪問する日々が続いていて先週は名古屋にまで出張ってしまった。今週から一旦休止しゆったり過ごそうと思っていたのだが、今朝になって気になる展示会が開催されている事を知ってしまった。我が敬愛する漫画家水木しげる御大生誕100周年を記念した「水木しげるの妖怪百鬼夜行展~お化けたちはこうして生まれた~」が横浜そごう6階で年明けから開催されていたらしいのだ。しかも開催期間は明日まで。これは行かなければなるまいと早速ネットで入場券を購入してから出向いた。

会場に到着したのは朝10時過ぎ。その時点で結構な入場者が来て少し混雑していた。

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水木しげるの妖怪百鬼夜行展~お化けたちはこうして生まれた~

我は水木御大を敬愛しているので、御大の生前の頃から御大に関する展覧会は今までも数回訪れている。大体が御大の足跡やその作品群に寄り添った展示が中心だったのだが、今回は妖怪画に特化した展示になっていた。つまり御大の描いた妖怪画だけではなく、御大が収集した「鳥山石燕」等が江戸時代に描いた妖怪画も展示されているのでブースは基本撮影禁止だった。最初は漫画のネタ作りで収集されたのだが結果的には妖怪研究の第一人者となられた御大。貴重な絵を見る事が出来た。江戸時代に生きた人達が感じた姿なきものを具現化しようと試みた肉筆画はとても興味深かった。妖怪というのは山を歩いている時に何かの気配を感じた瞬間、または池なり川なり水の中になにか正体の判らぬ生き物が動いた瞬間等、怖いと感じる前の「あれ?」という違和感。それを他人に口伝した際に正体が判らぬ故色々な脚色がされて姿が与えられたモノ達だと理解している。今のようにスマホどころか電気もない、山や海に趣味で行く人々もそれほどいない。そんな時代の人々の警戒心から生まれた妖怪たち。山を一人で歩いて入る時に、こんな処に誰もいないはずなのに誰かが何かを水で研ぐ音(に似た音)が聞こえるのに姿が見えなかったら何を想像したのか<小豆洗い>。道を歩いているのに突然急激な寒気を感じた時何を想像したのか<震々>。冠婚葬祭等で多くの人達が家を出入りし慌ただしく心が落ち着けない状況の中、面識のない人が家の中に混じっていた(ような気がした)ら何を想像したのか<ぬらりひょん>。そういうのが伝わってきて面白い。妖怪画は一見荒唐無稽な姿に見えたとしても、その人が最初に「あれ?」と奇妙に感じた感覚は事実だし、それが「妖怪は本当にいる」と言えるのだと思っている。柳田國男らが収集した民間に伝わる話にある姿なきものに独自の鋭敏な感覚で形にして精密な絵にしてしまう御大。主役の妖怪より草むらとか木目とか背景の描き方が異常なくらい細かく凄かった。

240309mizuki002240309mizuki003 アプリをダウンロードしてある部分にスマホのカメラを向けると妖怪が浮き出てくるなんていうアトラクションもあった。それは撮影可能だった。子供の頃に夢中になった御大の絵に久々に触れ会いあの頃を思い出す事が出来て楽しかった。出口にある売店で図録他を購入してから会場を後にした。

2024年3月 2日 (土)

北斗七展

240302sky001 昨日3月に入ったがまだまだ気温が低い状態が続いている土曜休日。

このところ週末になるとロボット系展示会に訪問していた。今まで全然情報を仕入れていなかったので改めて調べてみると、漫画やアニメ系の展示会って沢山開催されていたんだね。ちょっと前では考えられなかったのに。我の中でちょっとスイッチが入ってしまったので、そういう展示会の為にとうとう新幹線に乗って名古屋まで来てしまった。名古屋から中央本線に乗り換え1駅目の金山駅南口改札を出てすぐのところにある金山南ビル美術楝に入る。ここで昨日から約1ヶ月間開催される「北斗の拳40周年大原画展」が今日の目的だ。事前にチケットは既に前売り券を購入済。会場20分前に到着すると既に20人くらい並びが出来ていた。定刻に開場する頃には我の後ろにも同等くらいの列が生じていた。

240302hokuto01240302hokuto02 北斗の拳 40周年 大原画展

漫画「北斗の拳」は子供の頃夢中になって読んだ。毎週月曜日ジャンプ発売を心待ちにしていたのを思い出すよ。格好良かったもんなー。映画「マッドマックス」の荒廃した世紀末世界に、常識を覆すような奇想天外ながらギリギリリアル感を伴う拳法をミックスして、群雄が割拠する壮大な長編格闘漫画にしてしまった、今改めて考えると凄い発想の作品だった。そして何より強敵だろうが雑魚だろうがキャラクターの個性が凄くて、今でも名場面の数々が記憶に残っているというのも奇跡と言って良い作品だ。240302hokuto03240302hokuto05 そして原哲夫氏の絵が上手過ぎるんだよ。その後他の格闘漫画がどんな凄いエピソードを描いたとしても、どこか物足りなさを感じてしまうのも子供の頃に「北斗の拳」を読んでしまった事が原因なのは明白だ。その生の原画をその目でみられるなら名古屋まで行くよ。実際目の当たりにしたらやはり肉筆の凄みというのを存分に感じられ「来て良かったなー」と心底思えたよ。

240302hokuto06240302hokuto07 我が大好きなキャラクターがラオウ。最強の男を具現化したらこうなるだろうと子供ながらに思ったものだ。今でもそう思っている。特に黒王号に跨った拳王の姿がこれ以上ないくらいに格好良い!

240302hokuto09240302hokuto11いやー良かったよー。…でもさ、ラオウが「我が生涯に一片の悔い無し!」という場面で原画展は終わっていた。あれ?ファルコや修羅の国やラオウの息子は?ストーリーどうこうより原画は是非見たかったので唐突に尻切れトンボになった印象が拭えなかった。しばらく展示場で続きを探しちゃったよ。我のこの作品への思い入れが深過ぎたのかも知れない。

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最後にグッズ販売コーナーに立ち寄る。展示会に行ったら公式図録は我にとってはマストバイなのでしっかり手にした。ポスターやTシャツ、アクリルスタンド等は我にとっては押入れの肥やしになるのは目に見えているので普通何も買わないのだが、南斗妖星ユダの温泉の素「湯だ-ローズの香り-」とか、南斗殉星シン配下KINGのキャラクター(スペード/ダイヤ/クラブ/ハート)の「雑魚トランプ」は我の琴線に触れて思わず手に取って購入してしまった。巨人ババアのハンドクリームは購入を見送った。

240302hokuto13240302hokuto12 Kindleで究極版を全巻購入しているのに未だ読んでいなかったんだよなー。早く帰宅して読みたくなった。そう思いつつ美術館を後にした。

2024年2月23日 (金)

雪東所沢

240223sky001 天皇誕生日で三連休初日となった金曜祭日。今朝は雪が降る冷たい朝となった。

天候は最悪に近かったがせっかくの三連休初日、有効に活用したいと思い、先週訪問した横須賀美術館で開催されていた「日本の巨大ロボット群像展」に続いて、非常にオタク的な展示会に行ってみる事にした。東所沢にある角川武蔵野ミュージアムで開催されている「永野護デザイン展」というものだ。永野護というのはアニメ畑出身の漫画家という事になるのかな。驚異的な人気を誇る漫画「ファイブスター物語」の作者だ。彼の初の展覧会というので興味を惹かれていたし、展覧会であれば天候にほぼ関係なく楽しめると思い行ってみる事にした。

240223sakuratown001 それにしても埼玉県東所沢って横浜市民からすれば難儀な場所だと思った。けれど地図で見ると塩ラーメンの名店『ぜんや』がある新座の隣駅だった。あー、それならば経験が物を言う。元町・中華街駅からみなとみらい線特急Fライナーに乗れば余裕で座ったまま直通で朝霞台まで出れるので、そこから隣接している北朝霞駅で武蔵野線に乗り換えれば2駅目か。約2時間くらいかかるが比較的に楽に行けそうだ。気合を入れて早めに家を出て開場の約1時間前に東所沢駅に降り立つ事が出来た。改札を出たらもうそこはいかにも何もない新興住宅街みたいな場所だった。雪が降っていて寒い。徒歩10分ほどで「ところざわさくらタウン」に到着した。角川グループが国内最大級の日本のポップカルチャーの発信拠点を目指し4年前に作った複合施設で、その中に角川武蔵野ミュージアムがある。

240223sakuratown002 目の前に「永野護デザイン展」の看板があり行列が出来ている場所があったので、スタッフに持参していた前売券を見せどこに並べば良いのか尋ねると「この列は優先案内出来るアーリーチケットの方の列です。通常チケットの方は10時半以降のご案内となります」と言われた。えーあと1時間以上待つのか。せっかく早く到着した意味がないではないか。仕方なく色々施設を一周してみたがどこも開店時刻が11時になっていてね。しょうがないから朝飯抜いて来ていたので腹ごしらえを優先しようと「角川食堂」と言う施設の前で吹きさらしの中丸椅子に座って誰もいない中1時間以上開店を待つ事にした。定刻に開店した頃には大行列の先頭になっていたけど。早速入店し注文した。フードコート形式で好きな席に座って渡されたブザーが鳴るのを待つ形式だった。

240223kadokawashyokudou00240223kadokawashyokudou01 角川食堂『永野アトリエ賄い飯』1900円

「永野護デザイン展」コラボメニュー。永野護が連載作業最終日にアシスタントに振る舞われるというメニューなのだそうだ。休日は強制的に400円プラスのソフトドリンクセットになる。アップルジュースを選択した。ミネストローネスープとオムライスとポテトサラダとサラダ、ブロッコリー。健康的な食事って感じ。とにかく冷えた身体に温かいミネストローネスープは嬉しかった。その後ダ・ヴィンチストアという書店に立ち寄ってから満を持して展覧会開場に向かった。そうしたらさっき行った会場は実はコスプレイベントの開場で、展覧会の会場はEJアニメミュージアムという別の場所だったというオチ…。我の下調べ不足と勘違いが主原因だったとは言え、チケット見せて質問したんだからイベントスタッフもちゃんと誘導してくれよ…。まあ先に飯食えたし展示会以外の場所は先に回れて展覧会を見終えた後は早々に家路につけるから良かったかと気持ちを切り替え会場に行ってみた。するとこの悪天候の中なのに大行列で入場するのに40分くらいかかったよ。

240223designs000 DESIGNS 永野護デザイン展

思い返せば学生の頃、友達の友達が漫画本を探しているというので付き合って横浜駅周辺の書店を巡った事が「ファイブスター物語」を知るきっかけとなった。結局その時は見つからなかったけどね。重版が出来ようやく入手出来た。電子書籍やアマゾン通販等が未だ無かった頃の懐かしい思い出だ。この漫画は年表を先に出してストーリーの大体の流れを先に提示しておいて連載を始め、単行本以外の高価な副読本で一段深い設定やメカ・キャラクターを紹介していくという、これまでにない巧妙な戦略で展開している。我もその手法にまんまと嵌ってしまった口だ。あれから約36年。満を持して初の展覧会。否が応でもテンションが上がった。彼の妻でもある声優の川村万梨阿氏の音声ガイドも900円で購入。スマホでQRコードを読み込みアクセスして視聴するシステムだった。

240223designs001240223designs004 素人時代のイラストを含めアニメ制作会社のメカデザイナーとしてデビューし才能を開花させていくところから展示が始まり興味深く閲覧した。そう言えば単行本第1巻の頃は「結構下手な絵だなー」と思っていたのを思い出した。しかし単行本表紙イラストがドーンと並んでいた場所ではその迫力に圧倒された。流石一流のデザイナーだなーと思った。

240223designs005240223designs006 しかも細部まで丁寧に描かれている。実物を見るとやはり凄いと感嘆してしまった。

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立体物も多数展示されており、メカデザインの秀逸さが当たり前だがより理解し易くなってこちらも興味深かった。

240223designs011240223designs012 とてもじゃないが立体物を購入し自分で塗装して作ろうとは思えなかったけど。複雑過ぎて先に心が折れそう。

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気がついたら2時間以上経過していた。正直大混雑で難儀したが、今までみたこともないものまで見れて大満足だった。最後に図録を購入。と言っても未だ発売されていないので会場来訪者限定で特別のサイトで予約購入する事になっていた。図録購入が個人的には本日最大のミッションだったので、後日トラブルで泣きをみないよう会場内で予約購入を完了させた。他のグッズ類はあまり我の購買意欲を刺激しなかったので退館した。総括すると、わざわざ横浜から東所沢まで来てまで訪れる価値はあり大満足だった。午後には雨は止む予報だったのにまだ降っており傘を開いて東所沢駅へ向かい帰路に着いた。

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