高井田再
金曜平日。だが我は今日は有給休暇を使った。長かった酷暑の日々を何とか耐え偲んできたのでそろそろ開放していきたい。ようやく関西地方にも出かけられる気温になってきたようなので、大阪日帰り地麺巡りへと出かけることにした。新幹線のぞみの自由席にしたが何とか席は確保出来た。新大阪には朝9時に到着した。エスカレーターの右側に並ぶ光景を見て「ああ大阪に来たんだなー」と感じる。
大阪って地麺らしい地麺があまり無いのでなかなか訪れようと思わないんだよね。仮に地方の人が地麺巡り目的で横浜に来るとしたら、横浜家系の有名店が市内外に点在しているし、サンマーメンやタンメン等ラーメンの原点に近いものを提供している老舗店もあるから少しは楽しめると思うんだよ。でも大阪はそれがほぼ無い。地方遠征に行って首都圏で食べられるような綺麗な盛り付けされたラーメン食べても我のテンションは下がる一方だと思う。大阪唯一の地麺として今のところ確認出来ているのは、東大阪市の「高井田中華そば」と言われる系統だ。我は47都道府県の地麺巡りを達成済なのでもちろん再訪問にはなるのだが、地麺巡りのテンションを上げる為訪れる事にした。地麺巡りに老舗要素大事!
新大阪駅からJRおおさか東線、近鉄線を乗り継ぎやって来たのは布施駅。この付近には「高井田中華そば」の元祖のひとつとされる創業1945(昭和20)年の『中華そば住吉』がある。我にとっては約12年ぶりの再訪問となる。店にはちょうど10時頃到着した。前回訪問時の記憶と全く変わらない佇まい。この店は朝型の我にはありがたい事に朝8時半から営業しているので勿論暖簾は出され営業中だ。店前には待ち客の姿は無かったので早速入店した。狭い店内だなー。厨房には若い金髪のお姉ちゃんが2人。12年前はおばちゃん2人組だったので代替わりが出来たのかな?こういう光景が見られるのは嬉しい。厨房回りに年季の入ったL字型カウンター6席のみ。こんな狭かったっけ?歴史の重みを感じる厨房が丸わかりでテンションが高まる。先客は4人いたので一番奥の席に座ろうとするとその前に「何にしましょー」とお姉ちゃん店員に大阪ネイティブなイントネーションで聞かれた。早くもコテコテ大阪感が味わえてシビれた。壁のメニュー表から口頭で注文した。後客2人。
筆頭基本メニューを注文。高井田中華そばの特徴は、かために茹でられた極太ストレート麺と濃い醤油味のスープ。具は青葱とメンマ数本と小さなチャーシューが4枚のっている。飾り気がなく凄くシンプルで我好みの地麺の顔をしている。
関東育ちの我からすると関東のうどんに近い印象を受ける。勿論関東のうどんとは異なり鰹出汁等は入っていない。鶏ガラや昆布から出汁はとってスープは作っているらしいが、それがほとんど感じないくらいビックリするくらい醤油の味が濃い。記憶にある大阪の食文化とは異なる味わいなので本当に大阪の地麺なのか?と疑問になるほど。オフィシャルHPから引用すると「高度成長期の中、鋳鉄工場が多くあった土地柄もあり(中略)お客様の要望でどんどん味が濃ゆくなり現在に至る」とある。立派なご当地ラーメンの成り立ちの逸話だ。大阪の人が関東の人間と対立しようとしてよく言われるのが「東京の真っ黒なうどんなんか喰えるかい!」なのだが、高井田中華そばの存在を知っていたら声高にそのセリフは言えないと思う。我は関東育ちなのでこの一杯は抵抗なくスルスルと美味しく食べられた。それでもマルキン醤油の味が濃かったのでスープは残す事になった。現金で支払いを済ませた。「おおきにー」を期待したのだが残念な事に「ありがとうございましたー」と言われてしまった。
さて次はいよいよ今回大阪にやって来た理由となった本命の店へと向かう。アーケード商店街を抜け布施駅に戻る為歩みを進めるのだが、通り過ぎるおばちゃんの乗った自転車のハンドル中央部分に傘の柄が取り付けられる固定器具、傘スタンドと言うらしいが、それがデフォルトであるかのようにほぼ全部取り付けられている有り様を見た。関東ではあまり見た事が無かったので「大阪、いろいろ違いがあって面白いなー」と楽しくなった。
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