御三家系
いつ、誰が言い出したのかは不明だが、『吉村家』、『本牧家』、『六角家』を「家系御三家」とされているらしい。水曜日に『吉村家』を訪ねたし、先程約4年半ぶりに『六角家』を訪れた。ならば残る『本牧家』にも訪れて「家系御三家」のトライフォースを完成させてしまおう。突然にそう思い立ち市営地下鉄下永谷駅で降りて環状2号沿いまで歩きはじめた。我ながらつくづく行動パターンがラオタだなあ。
『本牧家』に到着したのはちょうど正午くらい。店前の駐車場は満車状態。これは待つ事になるだろうなーと思った。入店し先客に続いて券売機で食券購入。厨房に店主と女の店員、後から若い男の店員が1人加わった。客席は厨房周りに変形コの字型カウンター20席。4人卓テーブル席が2卓。当然満席で運悪く先客が4人家族で彼らが並んで座れるまで待たされる事になり20分くらい待たされた。後客も続々来店していた。
とうとう家系ラーメン並800円時代に突入したか。好み普通で注文。鶏油多め対応不可だったけど。鶏油不足の為自らの好みを変更したわけではないけどたまたまタイミングが合った。でも我はこういうのに偶然に見せかけた何かを感じてしまう。先程食べた『六角家』のラーメンとかなり似ているが油の量はそれほどでもなく、豚骨・醤油・鶏油のバランスが取れている。個人的には『六角家』よりこちらの方が好みに合致する。連食するとわかる事があり面白い。標準で油多めだった『六角家』のラーメンを食べ胃が重くなっていたはずなのに、出汁の美味しさで気がつくとまたもやスープを完飲完食してしまっていた。このクラスの伝統的家系はやはり美味しいのだ。大満足で退店した。
家系御三家と言われる店を食べ歩いて感じたのは、『吉村家』と『厚木家』が別物というより、『六角家』と『本牧家』の方が伝統を伝えている文化遺産的な店という印象を受けた。だからこの3店を御三家と言った時代は20年くらい前の話ではないのかと想像している。『吉村家』から『本牧家』が袂を分かち、更に『本牧家』から『六角家』が分かれた時分の頃の話ではないのかな。
我がラーメン食べ歩きを始めて間もない頃の家系の状況を思い返すと、『吉村家』は自ら総本山と名乗り独自の高みを目指し「家系四天王」と言われた直系の弟子達の店はいずれも大行列店となり他の家系店とは別格の存在感を示していた。一方『六角家』はラー博開業と同時に出店し注目を集め多くの姉妹店を輩出し一大勢力を築いていた。ラーメンはそれまでの家系の伝統を守り引き継いていた。『壱六家』は『吉村家』とは全く関わりがない新興勢力でFC展開を盛んに行い勢力拡大中で、当時完全に豚骨寄り白い色をしたスープだったから特徴が際立っていた。家系御三家というものとは別の話になるが、15年ほど前は我は勝手に醤油寄りの「六角家系」、豚骨寄りの「壱六家系」、醤油も豚骨も強い「吉村家直系」と家系を分類していた。
そして時代は流れ現在。『六角家』は六角橋本店が閉店し間もなく破産、経営も変わってその屋号を残すのは戸塚の1店舗のみになってしまった。『吉村家』はかつての「家系四天王」の店主達の多くは様々な理由で吉村社長より免許皆伝を剥奪され破門になっている。なので一時期は勢いを失ったかに見えたけど、さすが創業総本山、別格の存在感は維持したままだ。『壱六家』は直営店舗数が急速に減っており勢力衰退は否めない状況。ラーメンは味を変え『六角家』に近い醤油寄りのスープになっている。入れ替わるように台頭してきたのは『壱六家』FC出身の『松壱家』のウルトラフーズ、『町田商店』のギフト、そこからまた派生した『壱角家』のガーデン等の工場生産スープによる所謂量産型家系と呼ばれるグループ店舗だった。しかしそれへのカウンターパンチ的に現れたのが東京中野に本店を持つ『武蔵家』の系列だ。我はこれを「東京家系」と呼びこれまでの家系と区別している。極度に豚骨濃度を高めご飯のおかずとして特化した一杯を提供し若者を中心に人気を集め、ここに来て「家系ブーム」と呼んでいい現象を引き起こし一大勢力になっている。しかしラーメンは画一的ではなく各店舗の独自性を尊重する方式をとっている。以上の経緯で現時点では我が勝手に家系を「横浜家系」、「東京家系」、「量産型家系」に大別している。歴史物を楽しむように、これからの家系の群雄割拠の様子を見守っていきたいと思う。
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