麺巡初年
本ブログ「擂り粉木日記」を書き始めて今日でちょうど16年になる。我ながらよく続けてこれた。先日書いた記事「擂粉木始」では開始前後の心境を振り返ったが、今回はラーメン食べ歩きを始めた最初の1年を振り返ってみたい。自身の思い出話だからいつも以上にダラダラと書く。
2006年5月27日から開始した本ブログは、その時興味を持ち始めていたラーメンの食べ歩き日記となっていった。今もそうである事は一旦置いといて、その当時ブログを書き続ける文章力(表現力/スピード)もなく、そもそもラーメンの知識が著しく不足している事を悩んでいた。一般的なラーメンブロガーであれば「美味しい一杯に出会いたい!それを共有したい!」とか考えて書くのだろうが、我は「自分のラーメンの経験値を上げて深い知識を得たい」という歪んだ気持ちで食べ歩いて書いていたというのが本当のところだ。今考えると愚かだったが当時は焦っていた。
食べ歩きの重要度としてはまずは超有名店へ訪問しラーメンの縦軸(質の幅)を知る事だった。自分の物差しの精度を高めたかったから。それと当時から一番興味があった「ご当地ラーメン」に代表されるラーメンの横軸(多様性)を知る事が出来る店へ優先に訪問した。それらの店の情報が必要だった。当時は現在のようなSNSはほぼ皆無だったので、店側から発信される情報事はほとんど無かった。その分ラーメン関連の雑誌や本はかなりの頻度で発行されており、それらをほとんど購入しては読んだ。石神本なんて毎年出るのが当たり前だと思っていた時代だ。今のようにAmazonのような通販も発達していなかった為、新宿や神保町に出向いてラーメン関連本を探し歩いたのも良い思い出だ。
でもそれ以上に有力な情報源になっていたのは一般の人のラーメン食べ歩きのブログやHPだ。質はピンからキリまで膨大な店が記録されていたし、有料の書籍等より正直な感想とリアルタイムな情報を無料で提供してもらえていたので、それについては今も感謝している。しかし当時お世話になったHP達は今見るとそのほとんどが閉鎖されていたり更新が停まったままだったりする。そういうのを見ると時間の流れの残酷さを感じるよ。
それらの情報源を通してから見た世界は見慣れたはずの街でも今までとは全く別に映った。まるでゲームの中で新たなフィールドにやって来て攻略すべきポイントを幾つも見つけたような高揚感。とても心躍った。でもその攻略ポイントがあまりに膨大過ぎてどう手を付けていけばよいか悩んだ。そこで我が選択したのは「毎日ラーメンを食べる」という荒業だった。毎日ラーメンを食べるなんて流石に体に悪影響を及ぼす事くらいは想像出来たので「始めの1年だけ」という期限は設けた。本格的にラーメン食べ歩きを始めたのが2006年5月29日だったので、その1年後の2007年5月28日までの間、ほぼ毎日ラーメンを食べ続け、結果572杯ものラーメンを食べた。1年の日数より200杯以上オーバーしている。つまり相当連食をしていたという事になる。実際週末は連食が基本でそれ以上杯数重ねた時も多かった。しかも間の悪い事にこの時歯医者へ通院していて、8月から10月にかけては親不知4本を順番に摘出手術を受けていた期間だからね。術後翌日くらいには顔傾けてラーメン食べていた。本当に狂っていたのだ。でも楽しかった。あの時だから出来た事だ。
当時勤めていた職場には蒲田駅からスクーターを使って通勤していたので、平日は東京大田区にあるラーメン店を中心に食べ歩いた。最初は駅周辺の普通に入りやすい店を訪問していたが、その内第一京浜沿いや環八沿い周辺の、店の外観を見ただけで普通の人ならば入店をためらうようなディープスポットのラーメン店にも突撃するようになった。令和時代では確実にアウトになるような衛生面に問題がある店、店主が店内で猫に餌を与えている店、店内に店主家族が勢ぞろいしていて家族団欒の中、部外者感覚でラーメンを食べる事になる店etc…。あの当時はまだそういう店が普通に存在していた。それらの店を巡った経験である意味ハートは結構鍛えられたと思う。大概の店に躊躇せず入店する事が出来るようになり、後に地方遠征食べ歩きをする時に大いに役立った。
週末土曜日は主に都内や神奈川県内の有名店 を食べ歩いた。荻窪の『丸長』に代表される歴史ある系列から『麺屋武蔵』や『けいすけ』に代表される当時最先端だった店巡り等もした。あとラーメン世界遺産と言われた『東池袋大勝軒』本店(旧店舗)へ訪問出来たのも良い思い出だなー。自分の中で少しずつ経験値が重ねられていく喜びを感じていた。完全にラーメンオタクとなっていた。だからと言って急に舌が肥えたりはする訳がない。けれども食べ歩き前に持っていた妙な偏見は無くなっていった。自分の好みだ!拘りだ!と思っていたものは、単純に無知からくる偏見だったと教えてくれた。質の高いラーメンはそれらを捻じ伏せて心底美味しいと思わせてくれたからだ。おかげで今は様々な種類のラーメンを楽しむ事が出来ている。自分の舌に自信が無くても縦軸を知ろうと努めるのはとても大事な事だった。
毎週日曜は主に横浜市内の店を巡った。家系にも様々な種類がある事をこの時知った。今巷で氾濫している工場製スープの量産型家系店が登場するずっと前の頃の話だ。特に磯子区辺りは移転前の『吉村家』に影響を受けたと思われるある意味貴重なパチモノ店もあったりした。横浜在住だからこそ豊富な家系体験が出来た。 六角橋や上永谷周辺の環状2号線沿い周辺のラーメン激戦区に初めて訪れたのもこの期間だった。あっちにもこっちにもラーメン店があり興奮したよ。ラーメン食べ歩き自体も楽しいのだが、今まで知らなかった土地を歩く事で、それまで小さかった自分の生活圏の外の世界、自分の頭の中の地図の空白地帯が埋められていくのがとても面白かった。余計に食べ歩きにハマっていった。
この期間の食べ歩きで最も強烈な印象を残した店は八王子の『みんみん』と千葉竹岡の『梅乃家』の2軒だ。両方とも我がラーメンに興味を持つきっかけになった店だし、この後全国ご当地ラーメン探訪を行うきっかけにもなった店だ。『みんみん』は昭和の佇まいを色濃く残す町並みの八王子からバスに揺られた先の郊外にあり、靴を脱いで座敷に座ってラーメンを食べた。シンプルだけど個性がありとても美味しい八王子ラーメンだった。一方の『梅乃家』は千葉の外れの小さな漁村にある海風が通っていく簡素で良い雰囲気の店だった。そこで食べる乾麺とチャーシューの煮汁から摂ったスープの荒々しい一杯は素晴らしかった。この時の経験から、店の雰囲気を含め現地に訪れ食べてこそ本物のご当地ラーメンを体感出来る事を学んだ。都内に進出しているようなご当地ラーメン店や集合施設、催事で提供されるご当地ラーメンはそのほとんどが紛い物だったと気付かされる事になった。我のラーメン食べ歩きにとって重大な出来事となった。
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