始祖復活
本日、新横浜ラーメン博物館で『淺草 來々軒』が昭和51(1976)年の閉店から44年の時を経て復活開店した。我はご当地ラーメンのルーツを調査するにあたり本やネットで知識を得ていたのでその店名は知っている。ラーメンの歴史を綴った本には「日本最初のラーメン店」としてよく紹介されていたからだ。後にそれは訂正されたようでラー博ではそれを謳ってはいなかった。だけど今に続く日本のラーメンの始祖にあたる「東京正油ラーメン」を形作った店だというのは間違いないようだ。我はその味の片鱗を確かめる為、ラーメン食べ歩きを始めて1年目くらいの時に『淺草 來々軒』直系の店と言われる千葉穴川の『進来軒』へ訪れたこともあるくらいだ。あれから13年後にまさか本当の『淺草 來々軒』に訪問出来るようになるとは感慨深いよ。ラー博ならいつかはこの「浅草来々軒復活」を行うだろうと期待していた。ラー博にとっては最後の手段と言っていいような大プロジェクトとして取り組んでくれるだろうし。1階フロアには今回の開店に大分先行して当時の来々軒の店舗が再現されいたしね。
浅草來々軒正式オープンの日は定時退社日の早出時差出勤だったので、帰宅途中にラーメン博物館に立ち寄るため新横浜駅にやって来た。時刻は夕方5時をまわったあたり。入場券を購入し入館する。今回の復活には『支那そばや』スタッフがメニューの再現と運営まで行うというので、場所は昨年末に閉店した『支那そばや』跡地かと思ったら違った。地下2階の『無垢ツヴァイテ』跡地の方だった。店前に並びは無し。すんなりと着席出来た。厨房には男の店員3人と女の店員2人。厨房前に一列のカウンター7席と壁側に一列3席のカウンター席。6人がけテーブル席2卓。先客16人後客10人くらい。そういえば緊急事態宣言宣言後初のラー博訪問になったが、この店は入口に大きな送風機が置かれ、カウンター席の間に仕切りはされていた。
『らうめん(青竹打ち)』 1100円
昭和10年以降に使用された機械製麺の中細麺と、1日限定100杯だという創業当時提供されていた青竹打ちの中太麺があり170円の値差がある。せっかくだから初訪問の今回は青竹打ちの方を選択。限定数量は話半分だろうし。ラー博は回転が遅いので20分くらい待ってようやく提供された。麺は柔らかめだけどモチモチした食感。具はスープ表面全体に散らばった薬味ネギ、乾燥メンマを水で戻したもの、チャーシューは煮豚ではなく本当の焼豚で縁が赤いやつ、そこそこの厚さのものが2枚。スープはやや甘さを感じる醤油清湯スープ。昔我の好きだったインスタントラーメンで「日清らうめん」というのがあったのだけど、ちょっとそれを思い出した。当時から安価で美味い食べ物として日本人が夢中になったラーメン。「日本人の味の好みが現在と大きく異なる当時のラーメンがこんなに美味かったはずがない」という気持ちが正直言ってあるよ。でもそれを言ったらおしまいだ。ラー博スタッフは開館当時から博物館の学芸員であるという自負をもっているなあと前々から関心していた。今回も当時の資料を詳細に調べ、忠実に再現したのではなく、可能な限り再現させようとしているというのが逆に良い。小麦の品種を含め当時と同じ食材など残っている方が少ないだろうし、当時は国産品が主だったので再現しようとすると一周回って高価な食材ばかりで構成される結果になる。丼まで当時のものを再現して使用しているという。正にラー博の真骨頂。『淺草 來々軒』は博物館という意味からしてもラー博が閉館してしまうまで固定で営業するべきだと思う。我はとうとう『淺草 來々軒』のらうめんを食した経験を持つことが出来た。それが最大の収穫だった。
ラー博では連食しないと損な気がしてしまう貧乏性な我。『淺草 來々軒』が古風でさっぱりした味だったので、次は逆にこってりに振ってみるかと地下1階に上がり博多薬院『八っちゃんラーメン』に入店。男の店員3人と女の店員2人。前客2人後客1人。先程の店では感じなかったラー博の感染症の影響というものが感じられたね。
博多・薬院 八ちゃんラーメン 新横浜ラーメン博物館店
『ラーメン(バリカタ)』 770円
博多薬院の本店を実食した我がどう感じるのか。相変わらず油分が強烈でキツイくらいだったけど豚骨出汁の味となると希薄でやっぱり本店とは違う一杯だった。後半卓上の味変キットを少し投入したけどどうにもならかった。
1階に戻り展示コーナーを歩いてみたら入口右手側に通路があって奥に行けるようになっていた。奥には「淺草 來々軒復活ヒストリー特別展示」や「青竹打ち麺作り教室」などがあった。教室は5時半で終了してやっていなかったけど。ラー博がより博物館っぽくなってきて嬉しい。
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