巌流島訪
我は小学6年生の二学期から中学2年一学期の2年という短い期間に北九州市の門司で過ごした。対岸に陸地が見える狭い海峡が近くにあり、凄い臭いを放つ工場地帯があり、背後には小さいながら緑に覆われた山がそびえていた。それまでの幼少期、平坦な土地に田んぼと畑が広がり川があるくらいの、起伏もなく海もない関東平野の中で育った我からすれば、極端に言えば別世界に連れてこられたようなものだった。学校に行けば癖のある方言で意味を全ては理解出来ない中で生活する毎日。環境の激変で最初は辛かったけど、刺激が強すぎたのかかえって忘れられない2年間となった。この地を離れる事が決まってからは数日泣いて過ごしたほどだった。地麺巡りで福岡に来た際にはどうしても気になって数十年ぶりに門司を訪れた。けれども暮らしていた町があまりに変わっていて、まるで見知らぬ町へやって来てしまったかのようだった。寂しかったがどうしようもない。それだけの時が流れたという現実を受け止めた。なので門司については思い出は思い出として自分の中で区切りをつける事が出来た。
でも対岸の下関についてはほぼ思い出がない。当時はもっと狭い世界で生きていたので、友達と買い物や映画を見に行くのは常に隣町の小倉だった。当時はまだ路面電車があってそれに乗って行った事も思い出だ。一方下関方面にはほとんど訪れた事がなかった。関門トンネルを自転車で抜けた事があるくらい。なので新鮮な気持ちで改めて下関という町を訪れてみようと計画した。8月初旬の3連休、1泊2日で初日は下関、夜は博多で1泊して地麺巡りをという計画を考えていた。
ところが下関の人には申し訳ないのだが、調べている中で我の琴線にふれるような場所を下関で見つける事が出来なかった。海鮮市場とかフグとか我が行くべき場所ではないし、レトロな洋風建築物も横浜でも見ることが出来ているし…。ラーメン店も福岡県側の方に興味ある店が多いので、どうせならそちらに時間を割きたい。というわけで下関観光を大幅カット、というよりほぼゼロにしてしまった。ではどこに行くかと言えば巌流島への訪島だ。おそらく誰もが聞いたことがある歴史の舞台になった島。門司で暮らしていた当時も知ってはいたけど船に乗ってわざわざ行く事もせず、対岸から眺るだけだった。近い場所にあると結局行かなくなる事が多い。特に歴史が好きなわけでもないので当時も憧れていたわけでもないけど、我の最近の島旅ブームと重なる部分があり心の琴線に触れるものがあって、ここだけは行ってみようという気になった。
朝5時過ぎに家を出て7時半頃羽田発の飛行機に乗り込んだ。飛行機、地下鉄、新幹線、ローカル電車、バスと様々な公共交通機関を乗り継いで朝10時半頃に下関唐戸ターミナルに辿り着いた。今度は船に乗って巌流島へ行って45分ほど島に滞在し、帰りは門司港側に渡る。900円の乗船券を購入しいざ乗船。2階のオープンデッキに座り潮風を浴びながら下関と門司両方の素晴らしい景色が望める。天気予報では日本海側は全般雨と言われていたが、雲に覆われていたものの雨は降っていない。
いよいよ巌流島上陸。正式名称は船山といい0.4kmしかなく起伏のない平坦な島だ。戦前は下関要塞に組み込まれ、戦後は住人がいたらしいがだいぶ前から無人島。島の5/6は明治以降新たに埋め立てられたものらしい。なので自然のままな場所はほぼ存在せず、石碑や銅像が立っている海に浮いた公園みたいなものだ。
宮本武蔵と佐々木小次郎の像が代表的な観光スポット。コテコテだけど巌流島に来たという実感が味わえた。
出発時にはどんよりと曇っていた空だが次第に青空がのぞいてきた。先月佐渡に行った時と同じく太陽の周りに暈が生じていた。
何もない島なので45分の滞在でも十分どころか時間が余ってしまったくらいだ。早々に船着き場に戻って船を待ち乗船。12時半前には門司港駅に到着した。
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