冬琴平荘
我は暑がりのくせに雪国が苦手だ。かじかむ指と千切れそうに冷えるる耳たぶ。そういった体感的な事は然ることながら、灰色の空と静まり返った白一色の景色が心の中まで寒々とさせる心理的な影響が大きい。そして交通機関が麻痺状態になるという実質的な弊害も嫌だ。そんなわけで、東北や北陸、北海道などへ遠征に行く場合はせいぜい10月迄で、それを逃すと5月以降までは計画しないのが通例だった。ところが今年最後となるであろう地方遠征の地に選んだのは、何と山形県でも日本海側に面した鶴岡市だった。山形は各地に特色のある地ラーメンが存在する全国でも有数の麺処。そんな山形にあって毎年ランキング上位に食い込んでくる、冬季にしか味わえない一杯があるからだ。
三瀬海水浴場にほど近い場所にある昭和の雰囲気を残した旅館『琴平荘』。夏場ならまだしも冬場の集客は絶望的。そんな冬の閑散期対策として、この旅館で中華そばを提供するようになった。旅館経営者兼料理長である掛神氏は元々ラーメン好きだった事もあり、独学で研鑽を積み、今ではその中華そば目当てに休日には500人も詰めかけるようになったという。最初はごく近くの近隣の人達の間で評判になった程度だったろうが、全国を食べ歩くタガが外れたラオタ狂者達に知られ全国区の有名店になるのはそう時間がかからなかっただろう。営業期間は10月から5月までの期間限定で、営業時間は昼の3時間のみ。しかも場所は雪深い寒風吹き荒ぶ日本海にある古びた旅館。こういったハードルの高さも狂者にとっては結構重要なスパイスになり得るからだ。
この店に挑むにあたって重要なのは時期。雪深くなっては行きたくても行けなくなってしまう。考える事は皆同じで営業開始直後の10月や営業終了直前の春頃は人でごった返し、本当に500人以上の待ちが生じるらしい。我がこの時期を狙ったのは雪が降る直前のギリギリのこの時期。エイヤで特急券とレンタカーの手配を前もってしてしまったのだが、出発3日前くらいから現地の天気予報で雪だるまマークが付き始めた。我のようなペーパードライバーが雪道を運転するのは恐怖なのでど心配していた。当日空に星が瞬く時間に家を出て、東京から新幹線に乗り新潟でいなほ1号に乗り継ぎ鶴岡に到着したのは10時20分頃。流石に横浜より風が冷たい。でも路面に積雪は見当たらない。駅前にあるレンタカー営業所で車を借りる。乗り慣れたヴィッツを期待していたのだが手配された車は新型パッソ。シフトレバーがハンドル横にあったり、サイドブレーキがフット式だったり斬新で慣れるのに時間がかかった。駅から走ること30分ほど、荒々しい冬の日本海の波音が聞こえる場所に目的の店はあった。到着したのは開店予定時刻を5分ほど過ぎたあたり。駐車場には既に多くの車が駐車されていた。早速店入口に向かう。無人の入口。靴を下駄箱に入れ、昭和の雰囲気がある旅館の廊下を進むと「中華そば処」と書かれた目印があるので矢印に従って進むと緑の暖簾がかかっていた。そこを開くと大広間。座敷卓が15卓ほど並んでいて、そこでラーメンを食べている客の姿がある。後方に仕切りがあり、その向こうには順番待ちの客がゆったりと座って呼ばれるのを待っている状況。入口に番号札があり、若い番号順に取って待つシステム。我が取った札は31番。その時案内で呼ばれていたのは22番だった。畳に座って足を伸ばすのなんて久々だ。でも混雑時にはこの大広間の待合いスペースでは間に合わなくて、他の部屋を待合室にしているというのだから凄いな。でも今は20人くらいが座敷の後ろのスペースで待っていた。後客も来るけどいい感じで回転している。我の番号は30分ほど待ったあたりで呼ばれた。やっぱりこの時期に訪問した我の狙いは大正解だった。厨房は座敷奥にチラッと見える程度でよく判らなかったが、掛神氏の姿は確認出来た。接客係として女店員が4人。卓の脇に座布団が積んであるので人数分を自分たちで敷いいて使えという事だろう。待っていると女店員が注文を取りに来るので口頭で注文した。
『中華そば(こってり・麺かため)』 700円
筆頭基本のメニューを注文。「あっさり」か「こってり」を選んで、麺のかたさも指定出来る。屋号入の丼を期待したがそこは選択出来なかった。どうも識別で「あっさり」選択だと屋号入の丼になっている気がした。麺は多加水で縮れが強い中細麺。具は薬味ネギ、メンマ、海苔1枚、チャーシュー2枚。魚介出汁がかなり強めで美味さが伝わる醤油スープ。地元で取れたトビウオで自家製で焼き干しにして出汁に使っているそうだ。また自家製スルメを醤油タレに使っているとか手間をかけて努力に余念がない。その分評判通りの味わい。同じ庄内地方、酒田ラーメンの筆頭『満月』に通じるものを感じた。文句無く美味い!汁一滴残さず完食した。
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