佐賀地麺
佐賀県も長崎県同様、地麺と呼ぶには個性が薄い地域だ。長崎はちゃんぽんの存在が大きく、ラーメンは亜流のような扱いをされあまり発展をしていないでいるようだが、佐賀の方は豚骨源流の久留米に隣接している為、その影響を受けすぎて個性が育たなかったのではと推測する。しかしながら横浜でも『葉隠』など佐賀ラーメンを名乗る店があり、都内でも幾つか「佐賀ラーメン」を名乗る店は存在する。それなりに特徴があるのかも知れない。佐賀のラーメンとは一体どういうものなのか?百聞は一見に如かず。現地で体感するに限る。
長崎から特急かもめ号に乗り肥前山口という駅で長崎本線に乗り換え3駅目、佐賀駅のひとつ手前の駅鍋島で下車する。この駅は貨物車両の車庫になっているようで、改札側の反対側に行くには陸橋を超えて行かなくてはならない。歩く事約15分、国道沿いに最初の目的店『もとむら』へ到着。他の店舗とつながった平屋の建物の左端の店舗だ。この店は昨年1月に屋号を変えている。その前は『一休軒』鍋島店だったそうだ。この『一休軒』こそが佐賀を代表する店だったのだが、その本店がなんと一昨年佐賀から広島へ移転してしまった。そして我は昨年11月、山口遠征のついでにその広島本店は訪問済だ。それでもやはり現地佐賀で佐賀ラーメンを体感する事に意義があるのでこの『もとむら』を選択した。屋号を変える前から「本店より美味しい」という噂だったというから期待が膨らむ。店に近寄っただけで豚骨臭がする。早速入店。厨房にはおじさん店主と女店員1人。厨房前にL字型カウンター12席と4人がけテーブル席3卓。先客3人後客2人。口頭で注文。
『玉子ラーメン(バリカタ)』 600円
佐賀ラーメンの特徴のひとつとして玉子を頼むと生玉子が投入されるというので麺バリカタで注文してみた。長崎の『思案橋ラーメン』とは明らかに違い、ぐっと久留米ラーメンに近づいている。しかし麺は中細ストレートとやや異なる。具は薬味ネギ、海苔1枚、薄く大きなチャーシュー3枚。とてもシンプル。スープも久留米等に比べるとあっさりしている。でも宮崎豚骨とも違うんだなぁ。ほどよい口当たりの塩豚骨スープ。後半生卵を溶かしてみるとスープのとろみが増して玉子の甘味が逆にスープの塩気を引き立たさる感じで面白い。豚骨臭も相まっていい塩梅。佐賀ラーメンは素朴でよいなぁと実感出来た。
次は佐賀県庁の繁華街まで行かなくてはならない。計画段階でもここが今回の旅の一番の難関だった。駅まで戻って電車に乗ってバスに乗るのも非効率。禁じ手ではあるがタクシーを拾えたら儲けものだなぁと思っていた。しかし実際来てみるとタクシー等通っていない。駅前にタクシーが1台止まっていたからそこまで戻るかと国道沿いを歩いていたら、何と佐賀駅経由のバスが止まっているではないか!目の前10mほど先のバス停に!急いで走って向かったがあえなくバスはウィンカーを出して動き出してしまった。手を振ってみるとバスは近くに止まって乗せてくれた!運転手さんありがとう!このバスは佐賀駅経由で県庁の方まで行ってくれるようでこのままバスに乗っていれば次の目的店近くに運んでくれるようだ。こんな幸運があるもんなんだなぁ…とこの時は思っていた。県庁のひとつ手前のバス停で下車。玉屋というデパートの裏手に次の目的店は『中華そば 三九』の暖簾を出している店を発見した。遠征前に下調べしていると、この店は九州ラーメン史の中では結構重要な店である事が判明した。元々は昭和22年に久留米のラーメン屋台として始まり、我々が豚骨ラーメンと聞いて頭に思い浮かべるあの白濁した豚骨スープを初めて作ったと言われる。後、熊本県玉名に出店、これに影響を受けたのが『天琴』@玉名、『こむらさき』@熊本、『味千ラーメン』@熊本等で、熊本ラーメンのルーツになったという。そんな『三九』が昭和31年久留米からこの佐賀の地に移転してきたというのがこの店なのだ。店構えを年季が入っている。早速暖簾を割り入店…あれっ?ドアがあかないぞ。どうした事かと思ったらドアのところに「準備中」と書かれた札が下がっていた。これはショック!
暖簾はちゃんと片しておけよ!暖簾の下に準備中って…。暖簾が出ていても安心は出来なくなった。軽いトラウマで今後の食べ歩きにも支障が出そうだ。淡い期待を込めて5分ちょっと店の前で待ってみたが変化はなかった。店主オヤジ(?)の気まぐれに付き合って無為に時間を浪費したらマイナスにしかならない。強烈に後ろ髪を引かれる思いで店を後にし佐賀駅行きのバスに乗り込んだ。マイナスをプラスに変換すべく、予定より1本早い博多行きの特急に乗る為駅へと歩を早めた。無事特急に乗れた事で福岡再訪の旅に余裕を持たせる事が出来た。結局佐賀は1店だけの訪問で終わってしまった事は残念だった。
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