帰宅難民
公共交通機関が完全麻痺。携帯電話も通じない。どこかに宿泊しようとしても営業していなかったり満室だったりする事態は容易に想像出来る。タクシーもつかまりそうもない。つかまったとしても道路も交通規制が引かれているのか、慢性渋滞の様子。そんな町田で夜7時を迎えた。だったらどうする?と考えれば歩いて自宅へ向かうしかない。誰の足だよ?手前ェの足だろっ!って事。不思議に途方に暮れる事は無かった。もう不謹慎だろうが何だろうが、この待ち望んでいた非日常時間を楽しむしかない。ワクワク感が高まってきて満面の笑みが自然と生じてしまった。まずは16号線沿いに横浜方面に歩を進める事を考えた。携帯のGPSすらあまり通じていないので勘を頼りに進むしかない。日頃やっているラーメン食べ歩きの経験が少なからず役に立ったと思う。小田急線沿いに進み相模大野方面へ歩いていく。そうすると国道16号に出る事が出来た。あとはただひたすら道路沿いに進むだけだ。横浜まで22kmとの表示があった。道路は相変わらず渋滞の列が続いている。歩いている我といい勝負の進行度だ。国道沿いの飲食店、コンビニは営業を続けているようで安心した。念のためコンビニに立ち寄り携帯電話充電用電池セットを購入した。1時間ほどでつきみ野、南町田付近に到達。まず早く横浜市内に辿り着きたいという思いが強まった。寒いはずなのに早歩きで歩いているので体温は上昇して暑いくらい。ハイテンションのままなので疲れはまだ感じていない。いつの間にやら同じ目的であろう人達も数名現れた。横浜町田インター付近は歩道が暗がりの一段下を通る事となる。こんな時に大きな地震があったらひとたまりもないなぁ、こんな事はこういう時ではないと出来ないよな、思い出になるだろうなぁと考えながら状況を楽しんでいた。下井川辺りに来た時偶然三ツ境行の路線バスがやってきた。チャンスとばかりに乗り込んだ。まだ路線バスは運行していたのか。ともかくこれで少し体力を温存出来る。助かった。相鉄線は海沿いを走っていないから運行再開をしているかと期待したが、やはりダメだった。この時点で21時半くらいか。そろそろ暖かいものを食べておこうと考える。やっぱりラーメンだよな。三ツ境といえば『麺屋浪花節』が頭に浮かんだ。運よく営業していたので入店。入口に券売機。厨房にはセーターを着た男の店員一人。一列のカウンター8席と4人がけテーブル席1卓。先客6人後客2人。皆我と同じ帰宅難民のようだ。
冷えた夜には味噌で元気注入。小注文だがなかなかのボリュームだ。浪花節独特の鰹節は使用されていない。茹でもやしが盛られた二郎スタイルにも見える。麺はブリブリの太ちぢれ麺。具は薬味ねぎ、茹でもやし山盛り、半味玉、海苔1枚、大きなチャーシュー1枚。濃厚というのは味噌ではなく豚骨濃度のように思える。久留米ラーメン『柳屋』の系列だからかな?ともかく胃も満足出来た。
さてもうひと踏ん張り再スタート。今度は相鉄線沿いに厚木街道を西へと歩を進めた。こちらは帰宅難民の人が東進、西進共大勢歩いていた。希望ヶ丘を通り過ぎ二俣川駅に到着。そこを通り過ぎて鶴ヶ峰へ歩を進めようとした時、踏切が点灯しているのが見えた。これは相鉄線が運行再開したのかも知れない。急いで二俣川駅に行くと改札が開いていた。横浜行の電車も停車していた。急いで階段を下りて電車に乗り込む。徐行運転だが運行再開したようだ。助かった。時間はかかったが西横浜に到着したので電車を降りた。この時点でちょうど23時くらいか。あとは50分ほど歩いて奇跡的に日をまたがず帰宅する事が出来た。
さすがに疲れた。翌日の土曜日は外出もせず1日自宅で静養だ。
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