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2019年6月 1日 (土)

追浜大将

先週末ははしゃぎ過ぎたので、今週末は大人しくしておこう、ゆっくり休もうと決めていた。なので午前中家事を行ってからはゆっくり調べごとなどをして過ごした。気がついたら正午になっていた。

日本最初のラーメンFC『札幌ラーメンどさん子』ストーリーのおさらい。墨田区に多店舗展開していた『餃子のつたや』社長が、物産展で知った札幌ご当地ラーメン「味噌ラーメン」の存在。昭和40年当時は札幌味噌ラーメンは札幌でしか食べられなかった。それを東京でやれば流行ると確信して昭和42年両国に1号店を開店し次々と店舗を増やした。当時は当然ながらコンビニもなければ日本マクドナルドもなかった頃なので、出店すれば大繁盛となる。次々とFC加盟希望者が集まり日本中のロードサイドに「どさん子」の看板が立ち、1号店開店から僅か約4年で500店舗、10年後には1000店を超えた。味噌ラーメンブームという現象化だ。そうなれば当然柳の下の2匹目のどじょうを狙うものも当然数匹現れる。また当時はインターネットなど影も形も無かった時代、大きくなりすぎた会社は末端の加盟店まで十分に目は届かず、勝手に本部を名乗って勝手に店舗を増やす輩も現れた。気がついた頃にはそれらのパクリ店舗が『どさん子』に肉薄する店舗展開をしていた。サトー商事が経営していた『どさん娘』は約800店舗、北宝商事が経営する『どさん子大将』は約700店舗まで巨大グループになったそうだ。そうなると「札幌味噌ラーメンはどこでも見かけるありふれた一杯」と消費者には映るようになっていった。一方、九州から新たにやってきた九州豚骨ラーメンは、未知の味わい、バリカタ等未知のギミックを持っていたので殆どの客はそちらに目が行くようになってしまい、「味噌ラーメンチェーン」は衰退の一途を辿った。そして今や本家『どさん子』の経営母体ホッコクが2012年上場廃止、会社分割で店舗数も178まで減少した。今は他の飲食店グループ傘下に入り立て直しに入り300店舗まで戻しているという。『どさん娘』や『どさん子大将』の経営母体も倒産、吸収合併されたようでFC本部は共に消滅しているらしい。なので今その2つの看板を掲げている店は、こう言っては何だが、個人で食糧調達や武器弾薬を補充している残党兵のような存在になっている。


今でも『どさん子大将』の看板を掲げる店が追浜駅前にあるというので行ってみる事にした。我ながらこういう行動パターンは普通のラオタではないよなーと思うよ。店に到着したのは昼1時半くらい。看板には「つけ麺 らーめん」の文字がメインで、屋号の「どさん子大将」の文字は小さく隅に追いやられていた。入店すると古めかしい地方のラーメン店然としていて、テレビがBGV、金魚の入った水槽とか置いてある。厨房にはおばちゃん店員1人。厨房周りにL字型カウンター9席と壁側に2人がけテーブル席3卓。先客1人後客2人。後から男の店員2人が厨房に入った。出前に行っていたようだ。出前でも何でもやって戦うという事か。口頭で注文。

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どさん子大将 追浜店 『味噌バターラーメン(太麺)』 800円

今や原型である味噌ラーメンチェーンと知れるものはメニュー表の中のみ。しかも筆頭ではない。味噌バターを注文。注文すると太麺か細麺か聞かれた。太麺は自家製らしい。また背脂を入れるかどうかも聞かれた。背脂好きなのでもちろん背脂入りで頼んだのだが、おばちゃん忘れたね。半ライスはランチサービスになるというので頼んだが、これは提供された。麺はもちもち中太縮れ麺。加藤製麺のような北海道定番のレモン色のではなく、白っぽいやつ。具は雑に切られたネギ、キャベツ、にんじん、そしてもやし等の炒め野菜、海苔1枚、ゆで玉子半個、チャーシュー1枚。場末感漂う味噌ラーメンスープにバターが溶ける。まあ味も量も悪くないので腹は満たされた。

駅前のコンビニで買い物をして帰路についた。3時頃には帰宅出来た。

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